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NPO法人 平和環境もやいネットブログへようこそ☆ たくさんの人が、ここでもやい合えますように( ´▿` )
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守山は、エエお天気ですー。
だから、枕もひなたぼっこ☆ 何かを抱っこしないと眠れないので、常に枕は2つ必要 (= '艸') 今夜はフッカフカの枕で眠れるの、楽しみすぎる☆ 明日の会議の資料作成が終わるのかが、心配なのやけど・・・ (恐怖 ************************************************************* さて、先日、NHKのクローズアップ現代で取り上げられていたのが、 我がもやいネットも支援させていただいている、岩手県大槌町でした。 大槌町の役場だった建物を、保存するか、否か。 町内の意見は、真っ二つに分かれ、なかなか結論は出ませんでした。 町民・識者・高校生で構成された検討委員会でも、 4ヶ月にわたって議論されました。 保存を望まれた、この役場で娘さんを亡くした方は、こう言います。 「自分だって、役場を見るのも辛い。だけど、記憶は風化してしまう。 脳裏にきざみこまなくてはいけない。この建物から目を背けてはいけない」 解体を望まれた、この役場で兄を亡くした方は、こう言います。 「後世に残すなら、あそこ(役場)でなくてもいい」 保存か、否か。 その判断材料として、維持費などの経済的なデータなども出されましたが、 もはや、決定打にはならなかったようです。 では、保存を決定する、そのきっかけは何だったのか? それは、大槌町の、100年の土地の履歴そのものでした。 「建物いかんに関わらず、場所として、どうあるべきか」 岩手県立大学の豊島正幸先生は、こう切り出し、 自身で研究された大槌町の100年の発展過程を述べられます。 大槌町は、昭和27年までは、高台にあった役場を中心に、山沿いに町が形成されていた。 ところが、昭和29年に現在の場所へ役場が移転してから、 どんどん町が海に近い低地へと広がっていった。 つまり、役場という町の中心機関の移転によって、町が海側に引き寄せられ、 津波の被害を増す結果となった、というのです。 この教訓を伝えること、あの役場の場所というものがどのような場所なのかを伝えるために、 役場を保存するというのも、1つの選択肢なのではないか、と先生は提案されました。 詳しくはクローズアップ現代HPで →http://www.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail02_3347_all.html ********************************************************************************* 町の履歴、土地の記憶、そういったものの意味と、 それを紐解く作業の意義を考えるきっかけになりました。 はやくこの仕事を終えて、創作的な作業をしたい 事務局 タマでした PR コメントを投稿する
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